Marrakech→Hautatlas

エッサウィラからマラケシュに戻り、フナ広場付近の宿で一泊。翌日早朝からいよいよアトラスを越え南のサハラ砂漠に近付いていく旅程へと入る。
ここからは日数に限りがあることと、何より個人の手配では到底行きつけないエリアが続くので現地の旅行会社のツアーに参加。といっても同日程で他に申込をした人がいなかったので、我々2人と運転手さん1人のほぼ個人ツアーのような感じに。


車はまずマラケシュ市街を抜け南東に向かう。写真はマラケシュ郊外の住宅地。 建物の街区は比較的固まっていて、周りには空き地のような緑地帯(といっても日本人の目で見ると荒れ地に近い)がある。都市部の住居の多くは小さな集合住宅などがおおいようだ。
マラケシュ市街を離れていくと所々の村の広場で市がたっている。○曜日は野菜、□曜日は肉・家畜、△曜日は衣類というように曜日でたつ市が違うとのこと。あちらこちらからトラックやロバ車が集まってきている。

さらに進むと村も少なくなり、ポツポツと土や日干し煉瓦造り家が見えてくる。周りにはオリーブか何かの畑。その土地の石や土でつくられたためか、地面と保護色で同化したような家が多い。しばらくはマラケシュ近辺特有の赤い土の色が色彩に加わっている。

運転手さんが車をとめてあちらを見ろと。どうやらビューポイントらしい。少し離れたところに湖が見える。おそらくマラケシュに水を供給するための人工湖かとは思う。彼らにとっては湖は貴重で珍しいのかもしれない。
手前のサボテンの群生越しに山々の間からアトラスの白い尾根が見える。数日前に雪が降ったらしく、普段以上に白い風景とのこと。

サボテンの花が咲いていた。花にも小さなとげがある。

平地から徐々に山の中へと風景が変わり、標高が上がっていく。途中、林の間からは斜面に広がる村が垣間見える。

職業柄、村をずっと興味をもって眺めていると、運転手さんが車を停めてくれた。

平屋が斜面に合わせて重なっているような様相。平地の住戸とは異なり軒の出が少しあるのは、雨が多少降るためか。
赤い地層と白い地層の境目に村があるためか、建物の色がこの2色で構成されている点が面白い。1つの建物でも地層の上下関係に合わせて下方を赤色、上方を白っぽい色としている点もなかなか。
無意識に風景を内包した建築。

再び車に乗り1,2分ほど走ると再び停まりカフェでしばし休憩。どうやらスケジュールにもともとあったらしい。
天気がもっと良ければ大地の赤い色と青い空の対比がさら美しいのかと。 赤い大地の色は川を伝わり下流のマラケシュへと通じます。マラケシュの赤い色がこの山から来ているようにも思え、建築・街の根源的な成り立ちを見ているようでもある。

川により浸食されている山肌。赤い地層は崩れやすい地層のようだ。遠い風景のようで結構間近の風景。意外と小さい。不思議なスケール感。

遠くの山肌にも集落が見える。歴史的にも隠れ里のような場所だったとの話。

再び車に乗り、山を登っていく。木々や灌木も少なくなり、徐々に不毛の大地に。

標高が上がっていくと赤い地層はなくなり黄色っぽい土のエリアに。合間に見かけた集落の建物の色もやはり地面と同じ色。よくよく見ると石積みの家で地面と同じ色になるのは必然。なぜここに集落があるのか、とても不思議。

Tizi-n-Tishka

いくつかの集落・村を過ぎどんどんと標高が上がっていく。地面には雪が積もっている。
しばらく進むといよいよ Tizi-n-Tishka ( ティジン・ティシュカ ) 峠。標高 2260 mの最高地点。車を停めしばし風景を楽しむ。太陽が近いだけでなく、雪が多いせいか太陽の光がものすごく眩しい。

驚きなのはこんなところにも土産物屋がある点。後ろにも写っているような、斜面ぎりぎりのところに立つ小屋も。
水晶などの鉱石や化石などを売っていたが、運転手を見ると暗に「偽物だよ」と言っている感じがしたので手は出さず。

見事な風景。こんなところに猫が丸まって寝ています。土産物屋の店主が飼っている猫か?
峠なので冷たく強い風が吹き抜けていく。

峠を越えると風景は一変し、黄色い大地が広がり始める。アトラスは地殻変動で生まれた山脈。地層もねじ曲げられているせいか、黄色の大地だけではなく、ところどころで様々な色の大地が現れる。写真のように黒いもののほか、赤、緑、白の地層も。 白い地層の中には1,2cmの一筋の黒い地層が。後日わかったことだが、こうした地層はかつて海の底だったらしく、黒い地層からは化石が発見されることが多いとか。(ひょっとしてファーストインパクトのときの地層?)先ほどの土産物屋の商品は本物だったかとも思い少し悔いたが、この場でとれたものかは怪しいらしいとのこと。

旅行先で路傍の石を集める癖があるのだが、ここでもいろいろな石をポケットに忍ばせることになり、妙にジャラジャラとしてきた。

Telouet

Tizi-n-Tishka ( ティジン・ティシュカ ) 峠を超えいよいよアトラス南部地域に。途中脇道にそれ、未舗装地域に突入。車酔い注意。
高原をしばらく進むと Telouet (トゥルーエト)の村が見えてくる。ここのカスバが目的地の一つ。

カスバは「砦」や「城郭」、「要塞」のこと。メディナの一部の城郭をカスバと呼ぶこともあるが、この地域では館の形態をもつ建物のことを指す。四角い平面の四隅に穀物倉と砦を兼ねる四角い塔を持つのが特色。もとは地域の権力者の館。
それにしても空が広い。妙にパースがかかったような雲も印象的。高度が高く雲が近いのだろうか。

村のはずれのカスバに車を停めて中に入る。上の写真は入り口付近の広場。この広場はかつてこの館の主が踊り子などを呼んで宴を催していたとの言い伝えがあるらしい。ただし斜面となっているので、少々踊りにくそう。
赤い日干し煉瓦の建物と青い空とのコントラストが幻のよう。外だけでなく中もまるで幻覚を見ているかのような光景がつづく。

脇の入り口よりカスバ内部に入る。外壁は元々漆喰で覆われていたとのことだが補修があまりなされておらず、剥がれ落ちた漆喰の下から日干し煉瓦のような素地が見えている。小さな門をくぐると屋根のない通路が続いている。

内側はかなり劣化が進んでいる。漆喰の剥がれた建物の躯体は風雨に非常に弱そう。おそらく梁として使われていた木材が何を支えるわけでもなく、宙に飛んでいる。赤い廃墟と青い空が印象的。

もう少し進むと比較的崩壊が進んでいない建物が現われる。正面はおそらくカスバの四隅の四角い塔の部分。

建物の中に入る。外見に反して内部は漆喰も残っており、保存状況が比較的良い。中は部屋が小割りとなっており付室のような通路が続く。扉には細かい細工が施されている。

幾つかの付室を抜けてさらに内部へ進むと突如現れるのは、艶やかな装飾が残る美しい空間。ガラス屋根で保護されてはいるが、元は中庭だった様子。マラケシュの史跡に負けずと劣らない完成度。
日干し煉瓦の躯体の中にまさかこのような空間が隠れているとは驚愕。先程までの赤い廃墟とのコントラストがあまりにも強く、もやは幻覚に近い。

中庭の隣の部屋には濃密な天井の幾何学模様の彫刻が。19 世紀に建てられたこのカスバは、その後も権力者によって増築を繰り返され、贅を尽くしたこのような空間がいくつもつくられたとのこと。ただし現存するのはわずかな部分。 この空間は接見の間やハーレムの一部のようだ。
開口部の装飾はアルハンブラ宮殿を彷彿とさせる独特な幾何学。それにしても美しい陰影を纏う。
下の写真は木の扉とモザイクタイルの壁面。
さらに下の写真は、壁に掘られた装飾。厚く塗り固められた漆喰を削っているのか。

デザイン的には統一感にかけるが、権力者の想う理想郷をこの地につくろうとした熱情はもはや狂乱的とさえ感じる。なんとか保存されていくことを願う。

白い漆喰に覆われている通路を通りカスバの中をさらに進む。
漆喰が残っているエリアは崩壊が進んでいない。でもところどころで漆喰が剥がれ壁のレンガ・土の赤色が漆喰を染めている。腐っていく日本の木造の廃墟とは全く違う様相の朽ち方。

いろいろと中を巡っていると再び装飾の施された部屋へと出ました。どうやら例の中庭の隣の部屋のようです。低い位置に穿たれた窓からの光が、静かに部屋のタイルを照らします。 吸い込まれるように窓へ。窓からはトゥルーエトの村が見えます。かつての支配者も眺めていた風景。この光の状態は今でも目に焼き付いています。 トゥルーエトの村。位置的にはアトラスの中腹の高原地帯。土塗りの民家の中央に造りの異なるモスクが佇んでいます。カスバは見捨てられ、モスクが村の中心に。

少々疲れたので部屋で昼寝。夕陽を先ほどのスカラに行って見ようかと思っていたが、午前中の長時間バスが響いたのか深い眠りに入ってしまい、気がつくともう夕焼け。
スカラには間に合わないので、あわてて先ほどの屋上テラスに。なんとか見ることができた夕景には間に合ったが夕日はすでに見えない位置に隠れてしまった。

階段を上がり屋上に昇る。
いかにも砦といった感じの意匠が施された柵越しに、雪で覆われたアトラスの山々と赤い大地を見渡すことができる。トゥルーエトの村も見える。
季節は冬。畑には作物が見えないが、夏にはこの荒涼とした大地でも作物を育てることができるのだろう。

すぐ脇には崩壊してしまったカスバの一角が見える。よくよく見ると煉瓦だけではなく、下部は石積みとなっているのがわかる。ただし石の間はかなり太い土の目地。雨が降ると一瞬で溶けてなくなってしまいそうな質感。
上から見ると、崩壊の度合いが思ったより進んでいて、修復するには修補というより再建に近いことをしないと難しいことがわかる。

かつて部屋だった部分には窓枠や細工されたモールが残っている。
所々に見える木材は元は梁。材種はシダー(杉)。この地域にはない樹木で、遙か遠い地域から運びこまれた貴重な建材だったとのこと。

レンガ・石・土でできている壁が重なるようにつづく外部通路。素っ気ないようでも光の微妙な陰影をひろう。
石と土目地の壁は修復のためか比較的新しい印象。土の建築というのはなかなか目にできないので貴重な体験。土が垂直に立ち上がるというのはそれだけで存在感がある。日本の現代住宅で時々目にする珪藻土壁もどきは足下にも及ばない。 所々にあいた穴は梁の木材を差す穴か。

窓付近のディテール。開口上枠は木材により支えられている。原初的な開口の構築方法。

内部には写真のような壁上部に施された装飾もあった。漆喰の彫刻と描かれた不思議な模様。土の躯体とのギャップが大きい。

下はカスバ入り口の巨大な木の扉の写真。丸い金物はドアノッカー。鍵も大きい。鍵の断面形状もどこかイスラム的な形状。

トゥルーエトのカスバを見学した後は、近くのレストランの屋外テントで食事。冬なので日差しの暖かさが心地いい。(高地であるため少々眩しいが。)

まずは瑞々しいモロカニアンサラダ。トマトとタマネギ、ズッキーに塩と香辛料を振りかけただけのシンプルなもの。にもか関わらずこれが驚くほどおいしい。ベースのトマトは甘いだけでなく酸っぱさがほどよく、何より実の中・細胞の中に封じられた水分がからだに浸透していくような感じ。これほどのサラダは食べたことがない。乾燥した大地だからこそ生まれる野菜の味。
サラダに香辛料はお好み。塩ともう一つはクミンか。香辛料の器も良い。蓋を閉めると小さいタジン鍋が2つ並んでくっついたような形。

やっぱりメインはタジン。食材はチキン、ジャガイモ、カリフラワー、ズッキーニ。文句なく美味しい。黄色い色はサフランによるもの。

天気と場所のせいもあったかもしれないが、結果としてモロッコ旅行で一番印象に残る食事であった。世界の食が集まっている日本でもまだまだ食べられない味がある。

向かいの妙な建物はレストラン本館。石の積み方が奇天烈。