33歳。まだ見ぬ地に突如として赴きたくなり夫婦で旅行を検討。 少しハードなところに赴こうということとなり、インドやトルコ、冬の北欧などが候補にあがる。一番訪れたかったのはアルジェリアのムザブの谷のガルダイアだが、アルジェリアは渡航制限がかかるほどの内政不安が続きていたために諦め、隣国のモロッコが急遽候補に。こちらにもかねてから訪れたかった迷宮都市フェズやフナ広場のあるマラケシュがあり、アトラスを超えればサハラ砂漠にも行けるし土の建築も見られる。イスラムの文化に触れてみたかったこともあり、正月早々荷物をまとめて旅立つことに。

東京からロンドンへ飛行機で8時間。ロンドンで23時間という長いトランジット待ち(さすがに一旦入国して友人の家に泊まらせていただく。)を経てロンドンからカサブランカまでは飛行機で3時間。まだ見ぬ異郷に心躍る。
カサブランカ(Casablanca)上空からの風景。眼下に美しい街の夜景が広がりる。白熱電球(ナトリウム灯?)で統一されたかのような街の色。混み入った特徴的な街の姿を現している。

カサブランカ近郊のムハンマド5世空港に到着。増築したのか意外と新しいで空港。飛行機の半数がヨーロッパからの旅行客。まずは預けた荷物が出てくるのを待つも、なかなか出てこず。なんだか職員も少ない。次の電車まで時間があるのでのんびり構えていたら、結局40分待たされる。うーむ。
入国審査を終えまずは換金。近くには白い民族衣装を着て遊牧民のような荷物をもった大勢の人たちが。どうやら巡礼者のよう。


Morroco 最初の洗礼

ガイドブックにはとにかく観光客がだまされた話が数多く載っていたので気をつけていたが、列車を乗るときに最初の洗礼を受けてしまう。空港駅改札で制服を着た職員にチケットを見せると、もう一人の職員がその隙に荷物をもってスタスタと。勝手にポーター。やられた。顔は笑顔だがどうみてもあとでチップを要求される気配。
ほんの数十メーター歩いたところで止まり予想通りチップ要求。しかも要求してきたのは50DH(ディラハム)=約750円。思わず日本語で「阿呆か!」小銭もなくうっかりお札を渡すとそのまま消え去りそうなので、無視していたがこいつがしつこい上に体格がいい。まだ電車は来そうもないので、しょうがなくロンドンで換金しそこなったポンド硬貨を渡すと、それなりに喜んでようやく立ち去る。200円ほどなんだけどそれは計算できていない様子。
列車が来て乗り込もうとすると今度は別の職員が鞄を列車に上げようとするのでさすがに追い払う。かなり腹立つ。最初に書いてしまうと、この洗礼のおかげか今回の旅行で被害にあったのはほぼこれのみ。もちろんその後も客引きなど数多いたが、意外にもそれほど悪そうな人はおらず。皆犯罪というよりビジネスとして行っているので無理はしないし、割と笑顔であきらめる。モロッコ人は全般的にかなり友好的。日本人が珍しいだけかもしれないが。

空港からCasa Voyageous(カサ・ヴォワジャー)駅に行き、電車を乗り換えその日のうちにMarrakech(マラケシュ)に向かう。カサ・ヴォワジャー駅のあるカサブランカは日本人にとって一番聞き覚えがあるモロッコの街かもしれないが、近代化されていて見応えが少ないとのことで日数の限られる今回はスルーすることに。 20:50発の電車が遅れて、結局きたのは21:30。モロッコはアフリカといえど年間通して平均気温は実は日本とそう変わらない。冬は少し東京より暖かいが、朝晩は冷える。電車が来るまでホームの椅子に座って待っていたがこれがなかなか寒い。モロッコ人とヨーロッパ人の旅行者にまぎれてしばし耐える。

写真が少ないのはイスラム圏の人たちは写真を嫌がるというのが理由。旅後半はずうずうしくなっていくが、さすがにまだ初日。遠慮しがち。ちょっとした風景を撮りたくても、人は入ってしまい、何より日本人は目立つ。カメラを構えれば尚更。もっともこのときすでに日が落ち駅も照明が少なく撮影には難しい明るさではあった。



しばし待つとようやく電車がきて乗り込む。荷物があったので1等のコンパートメントに。といっても安い。こちらは乗客も少なく妻と独占。でも空調が壊れているのか寒い。写真はカサブランカの窓からの風景。都市部でも夜は暗い。ということで、車窓はほとんど楽しめず。


Marrakech 夜中に迷う

電車が遅れ、マラケシュ駅についたのは夜中の0:30過ぎ。
夜中にもかかわらず駅には大勢のホテルとタクシーの客引きが。駅でタクシーを拾うとぼられるとの話がガイドブックや個人blogのあちらこちらに載っていたため警戒して彼らの間をすり抜ける。予約をしたホテルは駅から2kmほどの旧市街(メディナ)の中。途中で流しのタクシーを拾おうとするもこれがなかなか来ない。結局荷物を引き摺りながら歩くことに。どうやら駅が改装中だったためか地図より駅が離れており、歩道の整備状態も悪い。半ばぼられたほうがよかったかなと思いつつ意地になって歩き続ける。

旧市街に入って、初めは調子よく進むも道はだんだんと細く複雑に。要のGoogle地図もさすがに現状を反映しきれておらず、だいたいの場所しかわからず。ホテル(といっても小さな邸宅を改装したRiad(リヤド)と呼ばれる宿泊施設)に電話するも応答なし。いやな予感。そんなこんなで夜中の1:00を過ぎる。さすがに街に人の姿はほとんどない。
最後の頼みはホテル紹介の道案内の文章(地図なし)。それなりに正確で近くのまで来たのはわかるが、それらしい看板がない。案内に出ていたホテル直近の小さい広場で立ち止まって電話をかけるもやはり繋がらない。そうこうしていると広場でたむろしていた30歳後半ぐらいの男性がフラッとやってくる。なんとなくの英語で気さくに話しかけてくるものの、それが逆に怪しい。というか、こんな時間に何しているんだろう。
モロッコのイスラム教徒はお酒を飲まないのでお酒の匂いはしないけれど、妙に上機嫌。しばらく警戒していたが、あとからきた別の男性に対しては「彼は俺の友だちじゃない」とか言い、警戒して追い払うのをみて本気で心配しているのはわかった。でも結局、後から来た男性もいろいろと探し始めてくれる。そんなこんなでガイド文章に添って皆で探すことに。
ホテルのあるブロックはほぼ判明したものの、どれもホテルらしい入口がない。同じところを10分ほど彷徨っていると(このころにはさらに1人増える。)記載どおりの住所札がある扉を見つける。全然ホテルらしくはないが住所は間違いない。扉に錠がかかっているのでインターホンを押すも反応がない。電話もまだつながらない。もう来ないと思われたのかもしれない。まいった。 一同はいつの間にか私たちを今晩どうするかを話し始めている。初めの男性がうちに来いよと提案するも、今度は他の人たちが「大丈夫か?」「気を付けろよ」みたいな視線をこちらに送ってくる。なんだこの人たちは?

扉の前で10分ほど議論していると、三人目がときどき押していたインターホンについに反応が。アラビア語で話をしてくれて、中からホテルの女性がようやく現れ中に入れることに!このころには一同の間に妙な連帯感が生まれており、捜索隊の皆から次々に祝福の抱擁をうける。モロッコ人は親しい友人、親族に対しても何かしてもらえれば、しっかりとお金で御礼する習慣があることは知っていたのとそのときは小銭もなくお札しかなかったので、それなりの御礼をする。実際英語が一番話せる初めの人が要求とまではいかないものの皆にそれぞれ渡してやってくれと耳打ちしてくるが、それもお互いの配慮を感じる。最後にあらためて深く握手(右手で)をして別れる。きっちり貰うものは貰うがやさしい人たちだ。なんとなくモロッコ人を掴みはじめる。
部屋に入ってようやく一息つくと、もう2:00近く。なかなかしょっぱなから濃いモロッコ初日。


Morocco 初日の朝

夜中の2時にRiad(リヤド:邸宅を改装してホテルとした建物)に到着し、そのまま倒れるようにベッドへ。体・頭ともに疲れてはいたが直前の事件でアドレナリンがでているためか、なかなか興奮が冷めず眠りにつけたのは3:00頃。でもなんだか眠りが浅かったせいか、早くもモロッコの夢を見始める。

そんな中しばらくして何かの音に気づき目を覚ます。なんだか外の通りから大勢の人の歩いている気配がする。時間はまだ5時頃。再度眠ろうとしているとなにやら歌が聞こえてくる。それも大勢の合唱。疲れきって眠ろうとしている頭ではすぐに判断できなかったが、どうやら近くにモスクがあり礼拝が始まったらしい。はじめて聞く生のイスラムの祈りの声。
低く響くコーラン。控えめでありながら圧倒的なパワーをもっている。キリスト教の賛美歌というよりどこか仏教のお経に近い。不思議な浮遊感につつまれつつ、再び眠りの世界へといざなわれる。

翌朝、目をさまし昨晩のことを思いかえす。外は生活臭みちあふれる人の往来が始まっており、早朝の出来事が嘘のよう。次の日も同じところに宿泊することになったが、祈りの声には気づかず朝に。今思い返しても、夢のような幻のような不思議な体験。


Marrakechの小道にて

リャドを出発。まずはマラケシュ・メジナの中心的な広場を目指して歩き始める。
写真はリャド付近の少し道幅があるところ。たまたま住民がいなかったので記念撮影。普通のモロッコ人は写真にとられることを嫌がるとのこと。まだ、旅行も序盤。ガイドブックの注意書きを尊重して写真は控えたが少し後悔。
この先のエリアではまったく異なる風景に出会うことに。 リャドは町の中心から少し離れており、庶民の生活エリア。観光客なぞほとんどいない。少し歩くと道幅は2m程度に。それでもこの道がこのエリアのメインストリートのようで、夜とはうって変って生活感があふれてる。

細道/土埃/ガタガタの石畳/後ろから颯爽と走ってくるバイク/道に座りコーランを唱える老婆/リアカーをロバに引かして物を運ぶ人/走り回る子供/15m置きぐらいに点在する日用品のお店(売っているものはほとんど一緒)/ロバの糞/犬/猫/不思議そうに見つめる目/オレンジ/丸いパン/水溜まり/薄汚れた赤い壁/崩れた家/レンガ/売り物の香辛料の香り・・・

今でも目をつぶるとそのときの情景が五感によみがえる。五感というのは大げさではなく、風景も音も匂いも味も肌に感じる空気もすべてが特別で、それらが同時に体を覆う感じ。この感じがあるから旅はやめらない。


さらに歩き続ける。
街の中心に向かうにつれ人・バイクが多くなり、お店に並ぶものも少しずつ高級に。ヨーロッパ人の観光客を見かけることも多くなり、現代的な服装のモロッコが多くなる。
道幅もだんだんと幅広くなるが、人や車の密度は変わらず。つまり混雑している。

なんだか陽気な人が多い。 「昨日マラケシュが勝ったんだよ!」(サッカー?)と急に話しかけてくる若者がいたり、ときどき英語で話しかけてくる人も。半分以上は商売関係、残りは珍しい日本人へ興味津々といった様子。

街の中心に近づく。
写真の塔は『クトゥピア』。マラケシュのシンボルの1つ。なんだか傾いている気もする。スペインのヒラルダの塔に似たムーア式の建築で1192年に塔は完成。元はモスクもあったそうだが現在は残っていない。4面それぞれに異なる装飾がなされている。高さは77m。マラケシュの街のあちらこちらから見ることができるので、しばしば自分の位置確認にもなった。

クチ(馬車)が並ぶ通りを抜けるとマラケシュの中心、『フナ広場』に辿り着く。
リャドから30分ほど歩いただけだが、モロッコの昼の喧騒にあてられ少々頭と体がくらくら。広場を見渡せそうなカフェに入って、一休み&作戦会議。

Place Djemaa el Fna

カフェからのフナ広場の眺め。
まだ午前中だがすでにそこかしこで大道芸が行われている。マラケシュ散策の基点にもなる場所なので何度も訪れることになるが、とにかく一日を通して様々に風景が移ろう広場。おそらくは毎日が縁日のような場所。眺めていて飽きない。

ところどころに見える人の塊は、大道芸人を囲む人々。大道芸の輪に近づくとすかさずチップ要求がくる。このときは正月明けなためか時間的な問題か、大道芸人の数は少ない方。それほど派手な芸をする人にも出会わず。大胆な組み体操を家族の映像を見たことがあるが、それらしい人たちはいない。残念。

広場は少し扁平なカタチをしている。 広場から北側の街中へは『スーク』と呼ばれる商店街が広がる。外からは中の様子がわからない。そこはまさに迷宮。写真中央は比較的新しい『新スーク』と呼ばれるエリア。広場の形状やその廻りの建物をみる限り、『新スーク』は広場の一部を占領してつくられたようにも思える。

マラケシュのメディナ(旧市街)はとにかく広い。このカフェはマラケシュの中でも比較的高い場所のはずが街の境界である城壁が把握できない。広大な迷宮。

大都市の街中はヨーロッパナイズされた洋服の人が多い(特に若者)。少し裏手にはいるとジュラバなどの伝統的な衣装の人がほとんどとなる。おそらく民族によって服装も様々。
どこを走って良いのか待ったくルールが掴めないが車がときどき走っている。人とぶつからないのが不思議なくらい。ロバ車で荷物を運ぶ人も多くいる。街中は車も通れないところがほとんどなので、ロバが今でも活躍中のようだ。荷物の量をみると結構パワーがあるようだ。

別のカフェが見える。こちらには白人の観光客がぎっしり。こちらのカフェよりも高級そうだが、おそらくこちらのほうが景色が良さそう。その右の建物はクサピン・モスク。モスクは異教徒は入ることができない。外から覗くのも憚れる雰囲気が感じられる。一日の内、何度か定刻になるとコーランの声がきこえてくる。ただフナ広場廻りのモスクからは拡声器で増幅された声。早朝に聞いた声とはだいぶ異なる。

同じカフェからフナ広場とは反対の方角を眺める。 カフェの高さは確か4Fでマラケシュのメディナではそこそこ高いほう。町の建物はほとんどは二層以下で、建物が同じ高さで広がっている。それにしても大きな街。

青い突き抜けるような空。遠くに雪をかぶったアトラス山脈が見える。この青い空は昨夕降った雨のおかげらしく、午後にもなるとだんだん街の生活から立ち上るホコリ・湯気でだんだんとスモッグがかってくる。

家の屋上に並ぶパラボナアンテナ。ところどころで屋上でなにか作業している人も見かける。写真はスーク方面。バラックのようなつくりの家が多く、屋根はかなり粗雑なつくり。雨はもれるだろうね。屋根材なのか洗濯物なのかわからないところも。そんな屋根の上に文明の利器が等しく鎮座する風景はなんだかおかしい。

ミントティー

カフェではじめてミントティー(発音的には「ミンティー」)を飲む。
苦さと甘さ、そしてスーとする後味に少々驚く。小さなグラスに山盛りの生ミントを入れ、何かお茶のようなもので割っている。

基本的にイスラム教で飲酒を禁止されているモロッコ人はこのミントティーを、お茶・お酒代わりに非常によく飲む。どこのカフェ・レストランに行っても必ずある。後に出会うベルベル人は「ベルベル・ウィスキー」と呼んでいた。乾燥した咽喉を潤し休ませるのに最適な飲み物。そういえば街中でミントの束があちらこちらに売られていた。

夫婦共々かなりはまり、このあとの旅程でも何十杯飲んだことか。勿論お土産として日本に持ち帰り、ときどき大切に飲んでる。もっとも、生ミントは持ち帰れないので、パウダー状のインスタントタイプ。それでもモロッコの空気を思い出すのには十分。

日本に戻ってからあらためて調べ直すと、ミントをわっているのは「ガン・パウダー」という種類の中国緑茶。昔、イギリスの貿易船が中国から持ち帰る際、舌に合わずモロッコの港に大量に残して行き、それをモロッコ人がミントで割って砂糖で甘くする改良を行い、今のミントティーになったとのこと。アフリカの文化だと思いきや、文明の交流から生まれた飲み物だったようだ。不思議な一品。
ああ、また飲みたくなってきた。口にすると確実にモロッコを思い出す。

El Bahja , Chez Ahmed

フナ広場近くの『エル・バジャ、シェ・アメド』というレストランで昼食。入口付近にオープンな厨房。(奥にも1つありそう。)店先でもテイクアウトをしている。中は地元の人でいっぱい。期待できそう。 まずはモロッコ料理の定番をということで、クスクス・タジン・サラダを注文。サラダは生野菜に香辛料やオリーブ油をかけただけのシンプルなもの。新鮮な野菜が嬉しい。クスクスはベジタブルを注文。スムールと呼ばれる租粒状固めて蒸された小麦の上にやわらかく煮たニンジン、ジャガイモ、ズッキーニがのせられている。さらにその上からスープをかけて食べる。意外と薄味で飽きがこない。日本人好みかも。スムールはスープをすうためか、お腹の中でどんどん膨らんでいくイメージ。食べ過ぎると危険。タジンは土鍋の煮込み料理。土鍋は円錐の蓋が特徴的。このときはチキンを注文。これまたニンジン、ジャガイモのほか、カリフラワーやインゲン豆のようなもの、オリーブなどが一緒に煮られている。サフランやパプリカなどによる味付けが特徴的。おいしい。三品でも二人で充分な量。あからさまに外国人観光客向けではない点と何より味に満足。幸先いい。

いよいよスークに突入。
スークは商店街の一種。マラケシュのスークは世界最大と言われている。ゆっくりとカメラを構えるのが憚れる文化・場所なので、どれもぶれていたりとちょっと悪い写真ばかり。ご容赦。
スークの中はまさに迷路。メディナ自体もほとんど迷路だが、ここはさらに。メインの通りと思われる通りも狭いところでは幅が2mもない。両側には様々な店舗が並いんでいる。 地元のモロッコ人のほか、観光にきているらしいモロッコ人も多数。もちろん海外の旅行者もいる。アジア人はほとんど見かけない。
ちょっと店先で立ち止まるとすぐに店員やら道端に佇む人から声をかけられる。お店は食料品や、香辛料、陶器、絨毯、靴、革製品、衣服、木彫品、真鍮品など多種類。どれも同じような違うような。 人でごった返しているとまでいかないが、なにやら不思議な熱気に少しくらくら。あまりボーとしていると、いつの間に後ろからやってくるロバ車に惹かれそうになる。東京の人ごみにも慣れているはずが、どこか違う集中力を要する。結局、初め探索で特にどこかのお店に入ることもなく、徒歩10分ほどでスークを抜けてしまう。

再度、トライ。
なんとなく方向感覚も取り戻し、少しずつ回りの風景を見る余裕ができてきた。 スークは「陶器のスーク」「木製品のスーク」「革製品のスーク」などのようにある程度同業種が集まっているエリアがある。メインの通りからさらに奥に踏み込むと、店先で職人が仕事をしているようなお店も現われる。
ところどころ立ち止まってなんとなく物色。でもあまり奥に入ると出て来れなくなりそう。身の危険というのも少しは感じなくもないが、それよりも完全に異世界に踏み込んでいるような感覚。
表通りはどうもそれらの職人のお店から卸した商品を並べたりしているので、品数は多いがなにか少し個性が希薄な印象。一本裏通りのほうに魅力を感じる。でも裏通りと思って曲がって進んだら、実は旗竿形状のお店で奥は広い商品展示スペースだったりと一筋縄ではいかない。そういうお店には絨毯屋が何故か多く、うっかり入ると何か買わないと出難い雰囲気。よくガイドを雇うと連れて行かれるお店というのはこういうところか。

通りには突如としてアーチ状の門が現れる。それはスークの出口だったり、別のスークの入口だったりとスークの中での限られた目印。でも見分けがつかないぐらい似たような門もあり、逆に信じすぎると迷う。まあ迷うのも楽しいのだが。

しかしものすごい物質の数と種類。とても1つ1つみていたら一日の集中力をすぐに使い切ってしまう。妻はイスタンブールの同じような商店街に行ったことがあるようだが、それをはるかに凌駕する場所だとのこと。しばらくはこの中を彷徨う夢をしばしばみることに。

何件か立ち寄ったスークの中のお店の1つ。
間口2.5mくらいの小さな木工品のお店。奥ではお爺さんがまさに商品をつくっている。とても誠実そうな人。入口付近でしゃがんでチェスをしているおじさんたちは近所の人らしい。
お店の様子は写真の通り、立ち止まらずにはいられない。できれば物をつくっているところをじっと見ていたいくらい。壁にかかっているのは料理道具。スプーンやフォーク、お皿やヘラなど。驚きなのは鋏。試してくれたが紙なら切ることもできる。ものすごい精度。どれも同じ白木でつくられているが匂いを嗅ぐとかすかにレモンの香りがする。レモンの木?
やや失敗した商品は安く売っていた。失敗といってもほんのちょっとした傷がついただけのものも。 幾つか買おうと思って金額交渉。でも店主のおじいさんは英語がわからないので、チェスをしていたおじさんが変わりに交渉。 鋏は200〜300DH(3000〜4500円)。明らかにぼられている。奥のおじいさんと会話ができればいいのだが・・。でも手前のスプーンは5〜10DH(75〜150円)。失敗作でも手間はかかっているので特に値切らず三本ほど購入。他のお店ではしつこくディスカウントしたが、奥で削っている姿をみるとさすがに気が引ける。

最後に断って写真をとらせてもらう。少ない写真の中の貴重な一枚。店をでるとチェスの決着もついたのか金額交渉したおじさんもお店からでて、向かいの店に。なんだ、お向かいのお店の店主だったのか。そのとき買ったスプーンからは、いまだにいい香りがしている。

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